漱石の読み方を習いに行ったよ、の巻

社会人になって、決まった給料を

与えられるがままに生きている間に

半年すぎておりました。

 何てったって金銭的余裕というのは素晴らしいもので、

一年目のくせに生意気に

韓国へ行ったり、北海道へ行ったり、

パリへ行ったり。

そんな融通のきく会社に感謝感謝です。

 

 

平日は、残業をなるべく少なくするようせっせと働き、

仕事が終わると、刺激のない毎日にせめて空想だけでも、

と本ばかりむさぶり読む毎日を過ごしております。

 

「はあ、こんなことするために

わたしは死ぬ気で大学時代に勉強したんじゃないよな。」

 

「うーん、なにかが間違っている。」

 

と悶えながら、暖かい実家でぬくぬく箱入り娘継続中でございます。

 

箱に入ってくつろいでいると無駄に焦る一方なので、

箱ごとどんぶらこっことどこか刺激的な場所に送られてしまえば

鬼退治なんて最高にドラマチックで人生に意味のあることができて

いいのにな、と考えつつ毎日不毛な時間を過ごし、

だけど結婚したら家族とこんな風に住めないし、

父の病状も心配だし、なんかこのままでも誰も傷つかなくていいよね、

 

なんて思ったりもする、

 

そんなもやもやした日々でございます。

 

しかしまあ

どうせ逃げる毎日を過ごすなら

「文学」を使って、過去をさかのぼって高度な現実逃避をしたいな、

 なんて思っていた所に、たまたま見かけた

 

日本文学振興会文藝春秋が共同主催する

「人生に、文学を」

というプロジェクトの広告。

 

主に東京と大阪で有名作家を招いて講演を行う企画らしいのですが、

たまたま関西でもやるらしかったから

高橋源一郎の「名作の読み方」という講座に応募しました。

 

彼の作品は正直読んだ事無いけど、脳内トリップ、高性能な現実逃避に

小説、そして名作は欠かせねえ!

 

それに近代史と小説が融合する講義とか好奇心爆発!!と、応募を決心。

 

定員が50人で、講演聞くだけなのに選考があるらしく

まあまあ長めの文字制限のある講演志望動機を書いて送り、

忘れたころに、招待状が届きました。

 

 

課題図書が、夏目漱石の「坊ちゃん」と「こころ」で、

「必ず読んで来て下さい」とプッシュしてあったので

昔読んだけど、もう一度Kindleから二冊拾い出し、

 

「ああこんな話だっけな、」

 

漱石の文章洗練されすぎてため息」

 

「いや自殺する意味が分からん、」

 

「明治の精神に殉するってなに?」

 

と色んな疑問を抱きながら、当日を迎えました。

 

 

 

神戸女学院の文学館の一室が会場で、

集まった本好きのみなさまの机の上には

読み古した漱石が並びます。

  

この企画の趣旨は、

「廃れ行く文学界を盛り上げ、文学を世に広めること」

らしいんですが、

長めの志望動機書いて、漱石二冊を読んで、わざわざ神戸の女子大にまで足を運ぶ人なんてのは、すでに文学なしじゃ、辛くて死んじゃう系のひとたちだよね。(偏見)

 

 

講演が始まり、細身で白髪の

おしゃれなおじさま、作家高橋源一郎さんの登場。

  

まず名作『坊ちゃん』について。

 

わたしは、漱石の洗練された面白い比喩と

小説自体のリズムに乗せられて、社会に出たての坊ちゃんが社会と戦いながら成長する姿に共感しながら、心地よい気持ちで読んだんだけど、

 

それは素人、ひよっこの楽しみ方。

 

 

小説のなかの登場人物たちの実家設定や、敵役の教師の発言などを、

時代背景と照らし合わせて読み解くことで、

漱石が『坊ちゃん』の中に込めた、

明治維新後に西洋の植民地へと変わっていく日本への危惧や、

地位を奪われた元幕臣たちの苦い想い、文明開化への反発が浮き出て来る、と。

 

 

そうやって、作者が小説に宿した真意を咀嚼するのが

脳内トリップをより一層楽しくするポイント!らしく、

 当時の空気を感じるコツらしいのです。 

 

 

でも、伝えたい事は直接書けば伝わるのに

なんでわざわざ暗喩する必要があったのか。 



 

それを読み解くヒントは『こころ』に隠されています。

 

『こころ』は、先生のなが〜〜い遺書が最後に綴られ、

 

その先生の自殺の原因が、

「親友を裏切って殺した過去があり、ずっと報わねばと思いつつ生きて来たが、

明治天皇が死んだので殉死する」

 

という

なんとも平成ガールには理解しがたい動機なので、

 

読んだ後に、同じ日本人と思えない時代の壁を感じておりました。

 

 

しかし、今回高橋さんの解釈を聞いて、

びっくり。

 

「明治の精神に殉する」というのは、皮肉で逆説というのです。

 

その時代に苦しんだのは、地位を奪われた旧幕派の人々だけでなく、

作家もまた、厳しくなる言論統制の下で活動を制限されて苦しんでいました。

 

 

そこで起きたのが、

 明治政府が、当時の反政府派や社会主義者たちに、

明治天皇の暗殺を企てた」とねれ衣をかぶし、

罪のない逮捕、起訴、死刑判決を下した

1910年の大逆事件

なんだか共謀罪ちっくだな)

 

 

罪のない国民に罪を押し付けることのできる明治政府の権力の強さを、

漱石をはじめとする明治の作家達は恐れ、

 政府に逆らうと殺されうる、書きたくても書けない社会ができあがってしまった。

 

そんななか、1914年に 

漱石は『こころ』の連載を始めます。

 

漱石の小説は、モデルすらも分からないことで有名らしいのですが、

高橋さんは、小説に出てくる「K」の出身や生い立ちから

一人の人物を浮かび上がらせます。

 

小説の中で書かれた通り、実家が寺で、養子に出されて苗字が代わり、

また大逆事件に強い反感を持ち、政府や時代の批評を精力的に書き続けたのが、

 歌人 石川啄木だったそう。

 

 

そして、当時政府と強い繋がりを持っていた

朝日新聞の文芸欄を任されていたのが、

夏目漱石

  

つまり、政府と作家の間にいたのが漱石であった。

 

  

当時啄木は、閉塞していく時代への批判を幾度も書いていたが、

世に公表されることはなく、漱石も啄木の文を朝日新聞に掲載しなかった。 

 

筆の威力を懸念する政府の目があり、

決断ひとつで人生が終わる可能性を漱石も恐れていたのだろうが、

 漱石は啄木の評論の掲載を拒否することで

歌人、作家としての啄木の魂を殺してしまった。

  

日本の現在、未来に真っ向から向かおうとした啄木だったが、

1912年に体調を崩し、無念のままこの世を去る。

 

漱石はひとりの作家の魂を葬り、

時代閉塞に加担してしまった自分の

喪失感や怒りを、『こころ』に込めたかもしれない。

 

それを念頭に置いて『こころ』を読むと、

先生が「明治の精神に殉する」と遺書に綴った言葉が 

自由と地位を奪った明治政府への皮肉だと理解でき、

無知のまま読み終えた時感じた時代の壁が薄れるのを感じました。 

 

伝えたい事が書けないその時代に、作品として小説を完成させつつ、

暗喩に暗喩を重ねることで激動する時代の問題に真っ向から立ち向かった

夏目漱石

  

  

書いた100年後にわたしみたいな赤ん坊が読んでも、

当時の漱石の苦しみを理解できるなんて、

魔法みたいなことができちゃうのが小説の凄さだし、

それにはやっぱり歴史背景を知らないといけないよなあ〜。

 

というのが、今回の講演の内容でした。

 

 

そしてこれまた興味深い解釈が、維新の犠牲者であり、近代人の原型である

「坊ちゃん」が太平洋戦争を起こした。というもの。(極論!)

 

というのも、戊辰戦争で負け、明治維新に押しつぶされた旧幕の人々は

どの仕事でも出世などできず、正当に評価されることはなかった。

  

しかし、1920年に陸軍が成績によって軍人を評価するようになり、

またその「成績」というのも、日本が勝ちます!といった案を出せば満点。

 なんてテストだったらしいので、

 維新のトラウマがあり、やっと公平な地位を与えてもらえた旧幕の人々は

 こぞって陸軍に入り、反明治維新=反西洋思想を爆発させます。

 

その結果、偏った陸軍の暴走が始まった、と。

 

 

坊ちゃんは、小説のなかでは23歳だけど、

終戦で60歳のはずだから、ちょうどそのくらいの歳の

旧幕派たちの暴走が、太平洋戦争を招いた、

 と仮定すると、坊ちゃんのような維新コンプレックスを抱いていた

普通の若者たちが太平洋戦争を起こしたんだと、考えれるらしい。

 

普通のひとたちが、環境や時代、政治によって姿を変え戦争を起こしてしまうなんて、

人間ってつくづく脆くて恐ろしい生き物だよね。

  

 今回新たな解釈を聞いて、時代の壁を感じていた小説の中の人物たちが

より生々しい人間だと思えるようになったし、

 現代化、西洋化の中で変わりゆく日本の姿や、政府による自由の剥奪によって揺れ動いた漱石の「こころ」に触れたような、そんな気がします。

 

 

今ニュースで見て、理解しがたいと思う人々の行動も、

一概に「悪」と決めつけるんじゃなくて、

根本から理解し合えるようになれば、なにか変わるかもしれないよね。

(そういうものを私は書きたい)