妹の卒業コレクション見にパリへ行った話 その2

パリ三日目は、朝からESMODE PARISの学生達による

卒業コレクション。

 

妹の通うESMODEは、世界14カ国21校で展開されている

服飾専門学校で、日本にも東京と京都に分校があります。

 

 

妹は、堀江に去年まであった「大阪校」に二年通って

服飾の基礎を学んだ後に

去年から「パリ校」にある子供服コースに通って

ステキな子供服を作るための専門的な勉強をしています。

 

 

 

ライブハウスをランウェイにした会場を

ネオンライトが染め、

親族、友達、先生方、生徒達で会場が膨れ上がる頃

学校長の始まりの挨拶が始まり、

音楽と共に証明が暗くなると

 

ショーのスタート。

 

 

 

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パリ校は、日本の分校にはない専門的なコースがいくつもあり、

ランジェリー科や、アクセサリー科、コスチューム科といった

日本にはないコースがあるのも特徴。

 

自分の興味を伸ばし鍛えれる環境で勉強し、

制作を重ねる事で

これまで存在すらしなかった物を

美しく創り上げる技術を磨いた学生たち。

 

卒業コレクションは、彼らにとって

学生時代最後のファッションショーなのです。

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普段も着れそうなオシャレなスタイルから

ラグジュアリーなドレスまで

学科ごとに 素敵な衣装に身を包んだ

モデルさん達が続々と登場。

 

パリの本校は、世界中の分校から生徒が集まるので

いろんなデザインがあって面白い。

 

妹が大阪校で学んだ刺繍も

パリの生徒達からしたら新鮮らしく、

やり方教えてあげてる、って前に話してたし

色んな興味やスキルを刺激し合える環境で

学べるっていいことだよね。

 

 

音楽が変わり、

待ちに待った子供服学科のショーに。

 

 

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Défilés du midi - ESMOD 2017 - ESMOD INTERNATIONAL FASHION UNIVERSITY GROUP

20:55 辺りから出てくる3人の女の子たちが

妹の服を着て出てくれたモデルさんたち。

 

妹がいろんなツテや、ネットを使って

学校のある平日に出てくれる女の子を探しまわった

結果見つけた貴重なモデルさんたち。

 

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可愛い服を着て 嬉しそうにランウェイを歩く子供達を見て

会場の大人達にも笑顔が伝染してた。

 

そんな空間を、服によって生み出せる妹は

とてもかっこいいな と思ったよ。

 

昔から誰よりも優しくて

思いやりがたっぷりの妹が作る服は

子供達への優しさが詰まっていて

きっと着てる子供達みんなを幸せにできる服だと思う。

 

そして子供達の笑顔は、今回みたいに

大人にもおもしろいくらいに伝染するからね。

 

 

自分の才能を信じて行動し続けるのは

とても難しいことだけど、

 

これからも、あゆには人を喜ばせれる服を作る

センスも技術もあるということを

信じて突き進んで、

たーくさんの人たちに愛される

服を作り続けてください。

 

そんな妹の素敵なショーを生で見れて

大満足でした〜

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妹の卒業コレクション見にパリへ行った話 その1

有給とって、

飛行機のって、パリへ。

 

飛行機で見た

ララランドに

パリに着く前から早速嗚咽。

 

夢を追いかける恐ろしさと

美しさったらね。

 

 

『夢を追うのは痛いけど

世界は我々を必要としている。

愚かに見られるけど

それが世界に新たな色を与える。

 

だから、夢を見る愚かさも、

痛みも世界にとっての希望だ』

 

 

 

憧れに近づこうと手を伸ばすと

いろんな壁が襲いかかって

胸を張りさき、

夢を「勘違いだった」と思いこませてしまう。

 

そんな雲を掴む様なこと

しなくていいのに

実体のない希望の光を追い、

追った先に見える景色を見たいと戦うのが、

夢見るドリーマーたち。

 

希望に向かって奮闘する芸術家たちの希望と失望を

この映画を通じて感じたことで、

わたしも世界の無限の可能性を

また信じよう、と思いました。

 

 

おっと話はずれましたが、

さてさて話を本題に。

 

そんな「世界はまぶしい」と信じる

ドリーマーのひとりである

妹 あゆみの服飾専門学校の卒業コレクションがパリで行われたので行って来ました!

 

 

着いたその日は、あゆの地元のレストランで

早速フレンチ。

 

家族の再会を喜びながら、

 

早速パリの雰囲気に飲まれ、

うっとりとした時間が流れてく。

  

美味しい魚に、お肉に、

ビールにワイン…

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パリは夜10時頃まで

日が出ているので

のんびり夜が更けて行きます。

 

夕食のあとは、

地元で人気のライブもしているバーへ。

 

バーの半分はテラス席、

半分は演奏が聞けるライブハウスのような造りで、

わたしたちはワインを飲みながら

地元の人たちの演奏や歌を堪能。

 

テラス席から吹いてくる風が気持ちよく、

ワインと一緒に聞くムーンリバーは

背筋がふわっとゆるむ心地よさでした。

 

 

 

2日目は、母の高校時代の友達で

現在は旦那さんの転勤でイギリスに住む

まさこさんと合流。

ロンドンからパリは、電車で約二時間の

至近距離なのです。

 

昼にはガレット店が立ち並ぶ

ガレットストリートで、サーモンと卵が入った

サクサクモチモチのガレットを食し、

 

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妹の通う学校の見学へ行き、

 

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母が大阪でよく行くアクセサリーパーツを売る

お店のパリ本店へ。

 

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手作りアクセサリーを夜な夜な

開発する母は、

パーツの入った瓶がずらりと並ぶ

アクセサリーパーツの聖地へ行けて

生き生きしておりました。

 

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ディナーは、わたしの中高の同級生の

お姉さんが働く和風フレンチのお店。

 

繊細な計算がされ尽くされている

食材同士が混ざり合う芸術…

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そして各テーブルを結婚式の挨拶のように練り歩く

「本日の鳥」 (最近死んだ愛犬を思い出した)

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千鳥の寿司屋の漫才を彷彿させる

くせの強いメニューたち。

  

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最後のアイスにビオラが置いてあったときは、

「くせがすごいんじゃ」と言わずにはいられなかった。

そういう時関西人であることを恨むわ。

もっとロマンティックに酔え。

 

 

そんな感じで始まった夏のパリ記、

次回はついに妹のショーの幕開け!

 

 

 

 

漱石の読み方を習いに行ったよ、の巻

お久しぶり過ぎて。

 

社会人になって、決まった給料を

与えられるがままに生きている間に

半年すぎておりました。

 何てったって金銭的余裕というのは素晴らしいもので、

一年目のくせに生意気に

韓国へ行ったり、北海道へ行ったり、

パリへ行ったり。

そんな融通のきく会社に感謝感謝です。

 

 

平日は、残業をなるべく少なくするようせっせと働き、

仕事が終わると、刺激のない毎日にせめて空想だけでも、

と本ばかりむさぶり読む毎日を過ごしております。

 

「はあ、こんなことするために

わたしは死ぬ気で大学時代に勉強したんじゃないよな。」

 

「うーん、なにかが間違っている。」

 

と悶えながら、暖かい実家でぬくぬく箱入り娘継続中でございます。

 

箱に入ってくつろいでいると無駄に焦る一方なので、

箱ごとどんぶらこっこと

どこか刺激的な場所に送られてしまえば

鬼退治なんて最高にドラマチックで

人生に意味のあることができて

いいのにな、と考えつつ

毎日不毛な時間を過ごし、

だけど結婚したら家族とこんな風に住めないし

父の病状も心配だし、なんかこのままでも誰も傷つかなくていいよね、

 

なんて思ったりもする、

 

そんなもやもやした日々でございます。

 

しかしまあ

どうせ逃げる毎日を過ごすなら

「文学」を使って、過去をさかのぼって高度な現実逃避をしたいな、

 なんて思っていた所に、たまたま見かけた

 

日本文学振興会文藝春秋が共同主催する

「人生に、文学を」

というプロジェクトの広告。

 

主に東京と大阪で

有名作家を招いて講演を行う企画らしいのですが、

たまたま関西でもやるらしかったから

高橋源一郎の「名作の読み方」という講座に応募しました。

 

高橋源一郎も知らないし、彼の作品読んだ事無いけど

脳内トリップ、高性能な現実逃避に

小説、そして名作は欠かせねえ!

 

それに近代史と小説が融合する講義とか

好奇心爆発!!と、応募を決心。

 

定員が50人で、講演聞くだけなのに選考があるらしく

まあまあ長めの文字制限のある講演志望動機を書いて送り、

忘れたころに、招待状が届きました。

 

 

課題図書が、夏目漱石の「坊ちゃん」と「こころ」で、

「必ず読んで来て下さい」とプッシュしてあったので

昔読んだけど、もう一度Kindleから二冊拾い出し、

 

「ああこんな話だっけな、」

 

漱石の文章洗練されすぎてため息」

 

「いや自殺する意味が分からん、」

 

「明治の精神に殉するってなに。(怒)」

 

と色んな疑問を抱きながら、当日を迎えました。

 

 

 

神戸女学院というクリスチャン女子大学の

文学館の一室が会場で、

集まった本好きのみなさまの机の上には

読み古した漱石が並びます。

  

この企画の趣旨は、廃れ行く文学界を盛り上げ、

文学を世に広めるためらしいんですが、

長めの志望動機書いて、漱石二冊を読んで、

わざわざ神戸の女子大にまで足を運ぶ人なんてのは

すでに文学なしじゃ、辛くて死んじゃう系のひとたちだよね。(偏見)

 



 

講演が始まり、細身で白髪の

おしゃれなおじさま、作家高橋源一郎さんの登場。

  

まず名作『坊ちゃん』について。

 

わたしは、漱石の洗練された面白い比喩と

小説自体のリズムに乗せられて、

社会に出たての坊ちゃんが

社会と戦いながら成長する姿に

共感しながら、心地よい気持ちで読んだんだけど、

 

それは素人、ひよっこの楽しみ方。

 

 

小説のなかの

登場人物たちの実家設定や、

 敵役の教師の発言などを、

そのまま解釈するんでなくて

時代背景と照らし合わせて読み解くことで、

 

漱石が『坊ちゃん』の中に込めた

明治維新の後、西洋の植民地へと変わっていく日本への危惧や、

地位を奪われた元幕臣たちの苦い想い、

文明開化への反発が

浮き出て来る、と。

 

 

そうやって、作者が小説に宿した真意を咀嚼するのが

脳内トリップをより一層楽しくするポイント!らしく、

 当時の空気を感じるコツらしいのです。 

 

 

でも、伝えたい事は直接書けば伝わるのに

なんでわざわざ暗喩する必要があったのか。 



 

それを読み解くヒントは『こころ』に隠されています。

 

『こころ』は、先生のなが〜〜い遺書が最後に綴られ、

 

その先生の自殺の原因が、

「親友を裏切って殺した過去があり、ずっと報わねばと思いつつ生きて来たが、

明治天皇が死んだので殉死する」

 

という

なんとも平成ガールには理解しがたい動機なので、

 

読んだ後に、同じ日本人と思えない時代の壁を感じておりました。

 

 

しかし、今回高橋さんの解釈を聞いて、

びっくり。

 

「明治の精神に殉する」というのは、皮肉で逆説というのです。

 

その時代に苦しんだのは、地位を奪われた旧幕派の人々だけでなく、

作家もまた、厳しくなる言論統制の下で活動を制限されて苦しんでいました。

 

 

そこで起きたのが、

 明治政府が、当時の反政府派や社会主義者たちに、

明治天皇の暗殺を企てた」とねれ衣をかぶし、

罪のない逮捕、起訴、死刑判決を下した

1910年の大逆事件

なんだか共謀罪ちっくだな)

 

 

罪のない国民に罪を押し付けることのできる

明治政府の権力の強さを、

漱石をはじめとする明治の作家達は恐れ、

 

政府に逆らうと殺されうる、

書きたくても書けない社会ができあがってしまった。

 

そんななか、1914年に 

漱石は『こころ』の連載を始めます。

 

漱石の小説は、モデルすらも分からないことで有名らしいのですが、

高橋さんは、小説に出てくる「K」の出身や生い立ちから

一人の人物を浮かび上がらせます。

 

小説の中で書かれた通り、

実家が寺で、養子に出されて苗字が代わり、

また 大逆事件に強い反感を持ち、

 

政府や時代の批評を精力的に書き続けたのが、

 歌人 石川啄木だったそう。

 

 

 

そして、当時政府と強い繋がりを持っていた

朝日新聞の文芸欄を任されていたのが、

夏目漱石

  

つまり、政府と作家の間にいたのが漱石であった。

 

  

当時啄木は、閉塞していく時代への批判を幾度も書いていたが、

世に公表されることはなく、

漱石も啄木の文を朝日新聞に掲載しなかった。 

 

筆の威力を懸念する政府の目があり、

決断ひとつで人生が終わる可能性を漱石も恐れていたのだろうが、

 

漱石は啄木の評論の掲載を拒否することで

歌人、作家としての啄木の魂を殺してしまった。

  

日本の現在、未来に真っ向から向かおうとした啄木だったが、

1912年に体調を崩し、無念のままこの世を去る。

 

漱石はひとりの作家の魂を葬り、

時代閉塞に加担してしまった自分の

喪失感や怒りを、『こころ』に込めたかもしれない。

 

 

 

それを念頭に置いて『こころ』を読むと、

先生が「明治の精神に殉する」と遺書に綴った言葉が 

自由と地位を奪った明治政府への皮肉だと理解でき、

無知のまま読み終えた時感じた

時代の壁が薄れるのを感じました。 

 

伝えたい事が書けないその時代に、

作品として小説を完成させつつ、

暗喩に暗喩を重ねることで

激動する時代の問題に真っ向から立ち向かった

夏目漱石

  

  

100年後にわたしみたいな赤ん坊が読んでも

当時の漱石の苦しみを

少しでも分かれるなんて

魔法みたいなことができちゃうのが

小説の凄さだし、

それにはやっぱり歴史背景を知らないといけないよなあ〜。

 

というのが、今回の講演の内容でした。

 

 

そしてこれまた興味深い解釈が、

維新の犠牲者であり、近代人の原型である

「坊ちゃん」が太平洋戦争を起こした。というもの。(極論!)

 

というのも、戊辰戦争で負け

明治維新に押しつぶされた旧幕の人々は

どの仕事でも出世などできず、

正当に評価されることはなかった。

  

しかし、1920年に陸軍が成績によって軍人を評価するようになり、

またその「成績」というのも、日本が勝ちます!といった案を出せば満点。

 なんてテストだったらしいので、

 

維新のトラウマがあり、やっと公平な地位を与えてもらえた旧幕の人々は

 こぞって陸軍に入り、反明治維新=反西洋思想を爆発させます。

 

その結果、偏った陸軍の暴走が始まった、と。

 

 

坊ちゃんは、小説のなかでは23歳だけど、

終戦で60歳のはずだから、ちょうどそのくらいの歳の

旧幕派たちの暴走が、太平洋戦争を招いた、

 

と仮定すると、坊ちゃんのような維新コンプレックスを抱いていた

普通の若者たちが太平洋戦争を起こしたんだと、

考えれるらしい。

 

普通のひとたちが、

環境や時代、政治によって姿を変え

戦争を起こしてしまうなんて

人間ってつくづく

脆くて恐ろしい生き物だよね。

  

 今回新たな解釈を聞いて、

時代の壁を感じていた 

小説の中の人物たちが

より生々しい人間だと思えるようになったし、

 

現代化、西洋化の中で変わりゆく日本の姿や、

政府による自由の剥奪によって揺れ動いた

漱石の「こころ」に触れたような、

そんな気がします。

 

 

今ニュースで見て、理解しがたいと思う

人々の行動も、一概に「悪」と決めつけるんじゃなくて

根本から理解し合えるようになれば、

なにか変わるかもしれないよね。

(そういうものを私は書きたい)

 

長崎にて〜全体的にヘビーです〜

長崎のソウルフード、名物トルコライスを食べに、『ツル茶ん』へ。

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ナポリタンと、ピラフ、熱々のトンカツの上にカレーがかかっている

とってもボリューミーで、すんごーく美味しいトルコライス

妹とわけわけ。

一人では食べれない胃が弱めな姉妹。

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最終日は軍艦島に行く予定だったんだけど、

大雨で運航中止。

というわけで我々は、修学旅行以来の

原爆資料館へ。

 

 

 

長いらせん状のスロープを下り、資料館へ入る。

スロープの周りには2010から5年ごとに数字が減って行き、

原爆投下から現在までの70年の重みが体感できる。

 

1945で数字が終わり、資料館の入り口へと繋がっていく

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多くのキリスト教徒が殉教していった、哀しみの土地長崎に、またしても神は苦しみを与えた。

たくさんの祈りが毎日捧げられる土地に起きた悲劇。

 

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広島の原爆資料館に数年前訪れたときに、

米軍と大統領との手紙や資料から、日本が当時どれだけ卑下されていたかを痛感させられて、ショックだった。

(ドイツは爆弾や薬物を落とすとそれを研究する力があるから恐ろしいが、日本にはないから何しても大丈夫、と資料の手紙に書かれていた)

 

人を個人と思わずに、数字の塊と考える。

日本国籍を持ち、日本で生まれ育ち、日本の教育を受け、日本のメディアを信じる。

それだけで、日本人を「野蛮な生きる価値もない生き物」とまとめた。

 

その結果『日本人』が「顔の無いのっぺらぼうの野蛮集団」という認識になって、

酷い事もできたのかな。

 

73,884人の死者を出した、長崎の原爆投下。

その数も、正直私はピンと来ない。

 

73,884人みんな、私たちと同様誰かの息子や娘で

誰かの母や父なんだ、ってことを

気を付けていないと皆すぐに忘れてしまう。

 

この写真の丸焦げの死体が

写真に写ってる女の子の母親ということが

何十年か経った後に発覚した、と

案内員のおじさんが教えてくれた。

 

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腹を痛めて産んで、必死で体や心を削って育てた娘。

その娘にさえも気付かれない姿に身を変えた、お母さん。

なんの罪も無いこの二人が会話する幸せを、

一瞬にして原爆は奪った。

 

当時原爆投下の候補には、大阪も入っていた。

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もし大阪に原爆が落ちていれば、私はいまここに存在しなかったかもしれない。

 

 

アメリカの大学で歴史の授業を受けた時、

先生が「米軍の日本への原爆投下は正しかったと思うか」

と米国人たちに問いかけた。

 

長崎県佐世保出身の祖父から原爆の恐ろしさはよく聞かされていたし、

修学旅行ではたくさんの折り鶴と共に慰霊碑に手を合わせ、

二度とこんなことが起こらない様に、と祈りを捧げた。

 

そんな私は、先生の突然の問いに対して

当たり前の様に眉をひそめていたが、

半数の米国人クラスメイトたちは、

「それによってより多くの米国人の命が救われた」と原爆投下を正しい判断と擁護した。

 

わたしはびっくり仰天したが、「ああ、私が常識と思っていることは環境が変わると常識ではなくなるんだ…」と、世界の広さを再確認することとなった。

 

「核を持って、核と戦う」

 

その概念を、オバマ大統領は否定した。

しかし、トランプ次期大統領は肯定する。

 

綺麗ごとでは済まされない外交問題で、

終戦から70年経った今でも、変わらないことはたくさんある。

 

インターネットやSNSの登場は、互いの理解を深める革新的な手段であり得る。

互いを理解しあえる時代の到来か!?と見えても、

顔の無い活字の暴走は止める事ができないし、余計聞きたい情報ばかりが目に入るしくみになりつつあり、より危なくなってるという声も聞く。

 

終戦から70年経ち、グローバル化が進む今でものっぺらぼうの存在は消えない。

 

「If you wanna make the world a better place, take a look at yourself, and then make a change」

ー世界を良く変えたいなら 自分を見つめ、変わることだ

 

とマイケルジャクソンが歌う様に(♪Man in the mirror )

私だけでも 色んな幸せや苦しみを『想像』し『理解』しようと努めようと思う。

 

「世界平和を望む」とか言うくせに

ベッキーの苦しみを『想像』も『理解』もせず ごちゃごちゃ言う人にはならない様

2017年は柔軟に人の話をしっかり聞き、

本物を追求するスタンスで行きたいと思います。

相変わらず重めのわたくしですが、

本年もよろしくお願いいたします。

 

長崎にて〜キリシタンの街〜

祖父母が熱心なキリスト教徒で、

産まれてすぐ洗礼を受け、

物心つく頃には実体も分からないキリストに祈りを捧げることが当たり前になっていた。

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しかし満ち足りた慌ただしい日々を送るうちに祈りもさぼりがちになり、

神を意識する事も気付かぬ間に少なくなった。

 

大学生になり孤独と一人で戦うアメリカでの学生生活で

私の心の支えは、自分自身の希望、すなわち目には見えない神の存在になっていた。

ってことも、当時の私は気付いていなかったんだけど。

 

毎日苦しくても「神は乗り越えられる試練しか与えない」と

唱えると、体の中からぐんぐんと生きる活力が涌き出してくる

不思議な呪文程度に思っていましたが、それにずいぶん助けられました。

 

理解できない部分が多く、今の時代神を信仰する事自体が甘えじゃないかと考えた時期もあったけど、

帰国して祖母と話す機会も増え、一人でまた教会にも通いだすようになり、

ちょうど遠藤周作の『沈黙』を読んだこともあって、

キリシタンについての興味が爆発していた私。

 

では、本日は長崎キリシタン巡りをしよう!というわけで、

朝起きて訪れたのは『日本二十六聖人記念館』

 

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1597年に6人の外国人宣教師と20人の日本人キリスト教徒、二十六聖人が殉教した「西坂の丘」に建つ『日本二十六聖人記念館』。

 

1549年にフランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝え、長崎を中心にキリスト教が日本に広まった。

毎日死に物狂いで働いても農作物の多くは役人に取られ、不当な制裁を下され続け、希望など無かった庶民達。

そんな中「神の前では皆平等」と唱うキリスト教の教えは、多くの人々の心に生きる希望を与えた。

 

しかし、封建制度を完成させ、揺るぎない中央集権国家を成立するために

1587年に豊臣秀吉がキリシタン禁令を出す。

当時の幕府が恐れたのは、海外からの侵略よりも、島原の乱のようなキリスト教徒の団結による封建制度秩序の崩壊であった…

 

1597年にはそれを受けて二十六聖人が殉教(自らの信仰のために命を捨てること)をさせられる。

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1614年には徳川家康によるキリシタン弾圧がより激しくなり、

多くのキリスト教徒たちは殉教させられた。

 

頭上には常に雨雲が覆い被さり、上を見上げ光に手を伸ばす事すらも禁じられる中で、

幕府のために働き続けた庶民たちがやっと手にした「信仰」という希望。

幕府はそれを彼らから無理矢理に奪った。

 

(そんな「迷える子羊たち」を救い、また日本へ渡った後に棄教したという師の真実を確かめるために、ポルトガルの宣教ロドリゴは日本へ上陸する… というのが遠藤周作の『沈黙』のあらすじです)

 

日本二十六聖人記念館』には、 

当時の隠れキリシタンの祈りから明治時代の信仰の復活までの歴史がたくさんの資料と共に展示されていて、

ボロボロになったマリア様の絵や、信仰を綴った手紙を実際に拝見すると、

彼らの生きる希望にすがりつく生きる強さ、

そしてよい社会のために自らを捧げた彼らの想いが少し理解できるようになった気がしました。

 

一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のまま残る。しかし死ねば、豊かに実を結ぶ (ヨハネ12・24)

 

多くの長崎のキリスト教徒たちは殉教し、死んだ。

しかし長崎の教会は死ぬ事はなかった。

そのお陰で教会は成長し、希望のしるしとして今もなお存在し続けている。

 

死を選び、愛を選んだキリスト教徒たち。

彼らは、強者である。

 

一方、踏み絵を踏み、死を逃れた弱者たちもいた。

が、その弱者達が語り継がれる事はなかった。

 

弱い自分を救う方法はないのか…という深い哀しみにも

神は沈黙を貫く。

こんなに苦しんでいるのに、どうして神は手を差し伸べてくれないんだ…!

 

という点に着目し、

その「弱者」達の人間らしさと新たな信仰の概念が『沈黙』では書かれている。

 

 

殉教した人たちを卑下するような結末に批難を受けたりもしたみたいですが、

信仰について、キリストの存在について、真っ向から向かって行った作家遠藤周作の『沈黙』は世界20カ国以上で翻訳され、世界中で読み継がれている。

 

今年『沈黙』刊行から50年。そして来年にはハリウッド映画化。 

返答のない神の「沈黙」を追求した彼の作家としての使命や動機にも興味があったし、

神への信仰が軽んじられ、蝕まれつつある現代で「信仰」がテーマの『沈黙』をどう映画化するのか、気になる…!

 

ということで、

長崎駅からバスにゆられ、一時間半ほどかけて辿り着いたのが

キリシタンの里としても知られる『沈黙』の舞台、長崎市外海地区にある

遠藤周作文学館。

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五島灘に囲まれた文学館から見える景色。地平線すらも空と混じり合う。

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資料館のなかは撮影禁止で、写真はないのですが…

遠藤周作の生前の遺品、生原稿、取材メモに加えて

多くの作品の解説が展示されており、

彼の作品や、日本人にとっての「キリスト教」、

自分にとっての「キリストの存在」を考える良い機会になった。

 

二十六聖人のような、神への信仰、そして仲間達の愛のために身を捧げ、死を選んだキリスト教的概念で言う所の「強者」と

死を恐れ、踏み絵を踏んでしまい、信仰心に嘘をついて自分を守ってしまう「弱者」。

 

遠藤周作は自身を「弱者」だと考え、自分は踏み絵を踏んでしまう人間だと言う。

 

だからこそ、彼はキリスト教的な道徳では「弱者」とされるそのような人間の意識を追求し、沈黙の灰の中に埋もれた「弱者たち」を再び生き返らせ、歩かせ、声を聞こうとした。「弱者たち」も「強者たち」も同じ人間だ。と。

 

 ぼんやりとした神の存在について追求し、「サイズの合わない服を着ている」と日本におけるキリスト教を表現しながらも、

生涯をかけてキリスト教を追求し、多くの人々の心の支えになる作品を書いた遠藤周作

彼は作品を通じて弱者を肯定することで、前向きな信仰の概念を伝えた。

 

また、彼の別名 「狐狸庵先生」のユーモア溢れる作品や展示物もじっくり拝見できて、芸術を楽しみ、笑いを大切にする事で人を巻き込む、芸術家としての姿勢も素敵!と思える、面白い文学館でした。

 
神は、人を介して働きかける。
人の背中を押す事で、神の力が実際に行われ、愛は人々に伝わる。

 

遠藤周作の想いの真髄に触れ、彼の愛や希望を体感し外に出て文学館の写真を撮ると

文学館の真上に、大きな十字架の雲が出ていました。

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この偶然は、遠藤周作の私に向けたメッセージとしか捉えられないほどに

何か見えない手で背中を押されたような気になり、

心が燃えるのを感じました。

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夜は海鮮丼を食べに。

妹はいろいろな海鮮が乗ったどんぶりを。

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わたしはまさかの九州に来て、北海丼を。

1年分のウニを食しました。

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それから夜のグラバー園を散策。

大浦天主堂はクリスマス前で、イルミネーションもとても綺麗。

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冬の空気を街が暖める、

グラバー園からの夜景。

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 ドラマ『Jin』(医者が江戸時代にタイムスリップするあの名作)の大ファンである我々は、「おおぉぉ!ここが野風(花魁)が嫁いだ先のところかな!」と大興奮。

そして

龍馬「野風ぇえ〜まだ雪になりたいがか〜!!」

野風「まっぴらごめんでありんす!」

と名シーンを全力で真似して盛り上がり、疲れて就寝。

 

長崎大好き。

長崎にて〜その1〜

妹「あゆさー、田舎に住んでのんびり暮らしたいねんな」

私「結局そうやんな。でも田舎って言っても色々あるやん?」

妹「ヨーロピアンチックなオシャレな街で古着屋とかしたいねん」

私「私海の近くに住んで、いつもホッとしたい」

妹「長崎ってじいちゃんの出身地やしなんか馴染みない?てかあの訛り話したいねん」

私「修学旅行以来やけど、なんか親近感あるし、色々丁度よさそうやんな」

妹「じゃあさ、将来の移住計画の下見いこうや」

 

というわけで、やって来ました

長崎。

 

うぅ〜ん!路面電車のレトロ感!!

やはり大阪とは時間のスピードが違うし、空が広い!

それに潮の香りが、なんとも切なくって、しびれちゃう!

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お腹をすかした我々は、とりあえずのちゃんぽん。

チャ〜イナタ〜ウン♪(矢沢永吉

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なんせ移住計画のための旅行なので、若干方言を九州寄りにしてみるが

すぐ地元民に関西人だとばれる。

ああ恥ずかしい。

 

江山楼のちゃんぽん!

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皿うどん

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モチモチの麺と、シーフードの風味のスープがとても美味しい…

ふう。幸せだわ、こりゃ。

 

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続きまして、地元っぽいバーに行こうと探して見つけたのがこちら!

森山酒店という酒屋の奥にある、『ちょこっとBar』

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焼酎や日本酒などたくさんお酒が並ぶ。

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その中で、長崎で作られた日本酒『はねぎ搾り』を注文。

甘くて飲みやすく、とーっても美味しかった〜!

 

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おつまみや一品料理も種類がたくさん並ぶ。

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カウンターで飲んでいたら、隣で飲んでいたお兄さんに

「お姉さん、一味取ってもらっていいですか?」

と頼まれ、一味唐辛子が入った瓶を渡すと、しばらくして六百円をくれて

「これ一味代じゃ。お姉さんありがとうな」

と言って去って行きました。

 

…それが、お父さんとお母さんの出会いよ。

だから、あなたには「一味」と名付けたの。

 

なんてスパイシーな六百円の恋は走り出すこともなく、

長崎の夜は更けていきました。

 

あのBar移住したら行きつけにしよう。

 

それからバスとロープウェイに乗って世界新三大夜景に選ばれた夜景を見に稲佐山へ!

ロープウェイで333メートルまで登ると…

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坂が多い地形なので、近くの建物でも遠くにあるように見える不思議な夜景。

繁華街も港も、原爆の被害にあった場所も、キラキラと輝く。

昔から海外との接点が多く、多くの喜びも悲しみも産まれて来た長崎。

 

祖父もこの風景を愛していたんだろうな。

 

優しい気持ちにさせてくれる稲佐山の夜景を見て、心が洗われました…

 

 

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遠くにあった葉加瀬太郎をわざわざ持ってきて、メッセージもわざわざ「結婚記念日」に変える笑いに貪欲な関西人たち…

ああ、恥ずかしい…。 

パリ最終日〜ライフイズビューティフル〜

早朝6時にバルセロナ空港から飛行機に乗り、

パリの空港に着き、それから妹のオススメのケーキ屋さん

ラ・パティスリー・デ・レーヴへ。

可愛いケーキを買い、

スーパーでパスタの材料買って帰宅。 

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久々のシャワーを浴びて、妹特製 ジェノベーゼパスタ。

愛。ほっこり。

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夜にムーランルージュへ行くまで、あゆが宿題してる横でわたしは 今回の旅の味を噛み締めながら パッキング…

 

そんなこんなで夕日が落ち、公演時間が近づいて来たので

地下鉄に乗ってムーランルージュがあるモルマントルへ向かう。

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ムーランルージュは言わばポップなキャバレーなので

夜公演しかないのです。

 

ショーまで時間があったので、ムーランルージュの近くにある

”Cafe de Luna"というお店で最後の一杯。

 

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最後のパリの夜は

名残惜しくなるほどに暖かくて、

この夢の様な空気に包まれて

ずっと優しい気持ちでいたくなりました。

 

ここのフライドポテトが人生で一番美味しかった…

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そしてとうとうムーランルージュ

ムーランルージュとは「赤い風車」という意味。

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大きな風車がトレードマークの建物に入ると…

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たくさんのテーブルとイスが結婚式場のようにぎゅうぎゅうに並べられ、

机には無数のピンク色のランプが…!

 

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細部まで計算された可愛い内装…♡

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わたしたちのテーブルの隣には、アメリカのヒューストンから来た老夫婦が座っていた。

ショーが始まるまで彼らのヨーロッパ旅行紀を聞きながらビールを飲んでいると、

幕が上がり、たくさんの若い男女の踊り子たちが舞台で踊り始める。

ショーのスタート!

 

まずは、若い男女によるダンス。これは…高校生の文化祭レベル。

二幕はマッチョなお兄さんによる大道芸。凄いんだけど、このへんから眠くなる。

第三幕は、熟女コーナー。ヒラリーそっくりの人が楽しそうに舞っていたので、すこし目が覚めた。

第四幕では上半身裸の乳丸出し美女達の舞いが繰り広げられ、興奮。

 

そして最後は お待ちかね!!

フレンチカンカン!!

 

キャーーキャーーー言いながら足を高く振り上げ、何重にも重なるカラフルなスカートを振り乱しながら、側転、開脚、ラインダンス…ああ、生きてて良かった…

ごちそうさまです…!

 

よだれを垂らしながら、うっとりする程に美しくパワフルな若い美女たちの舞いに酔いしれ、あっと言う間に公演終了。

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セットの隅々まで、胸が熱くなるほどに洒落ていて

とっても素敵な劇場でした…。

 

私は帰宅後すぐ早くベッドに入り、妹は早朝まで課題。

子供用のぬいぐるみを作る課題だったらしく、せっせと縫っていました。

 

朝こっそり起きて、昨日買ったケーキに

日本から持って来た誕生日用ろうそくをさして、

火を灯す。

寝てる妹を起こして、

ハッピーバースデートゥーユゥ〜♪

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21歳の誕生日はフランスや日本ではそんな大イベントではないんだけど、

アメリカではとても大切なイベントで

(アメリカは21歳からお酒も飲めて、バーやクラブにもいける)

この21という数字に縛られながら悪夢の未成年期間をアメリカで過ごした私からすると、見過ごす事はできない!

ということで、21歳をお祝いしたかったのです✨

 

ちなみに私の21歳誕生日当日は、四年制大学に編入したばかりで

一緒に祝ってくれる友人も居ず、

大して誰とも会話すらしないまま日が暮れたので

拗ねて日本から持って来たいいちこをコップ一杯だけ飲んで孤独を噛み締めながら寝ました…。その頃からかな、目が据わって来たのは…。

 

でもね、21歳は激動の一年だった!

中国に一ヶ月間滞在して、米国人や中国人たちと共に取材をしたことで、『常識』の概念を自分の常識で考えないようになったり、国際報道の面白さもよく知るきっかけになった。

親友のまりんちゃんが大学院のためにニューヨークに越して来て、マンハッタンで派手なパリピ達と夜遊びしながらも、

「なんか私たちが求めてるのと違うよね〜」とか言って絆を深めたり、

好きな人ができて浮かれたり失恋したり、

育った環境も何もかも全然違うコロンビア人のナタリーに強く通じるものを感じて仲良くなり、軽く彼女の家に住みだして心がまた暖かくなったり…

とても忙しくて、楽しい、夢の様な21歳だったな!

 

妹にも心がポカポカするような出会いがたくさんありますように!♡

 

ちょっくらフランスパンを買いに行って、

Uberを呼んで、妹とはしばしのお別れ。

 

穏やかな気持ちのまま、あっという間に大阪に到着。

 

21歳の妹と過ごす、未知なるパリでの一週間。

妹が過去の自分と重なることが何度もあった。

 

「言葉がわからないから、一度休学したい」

「自分がクラスの中でダントツに子供のような気がする。小学生が高校に混じってるような違和感」

「強くならないと自分しか自分は守れない」

「未知なる可能性を信じたい」

 

あの頃、視野の狭さや勘違いが私の魂を燃やしていた。

ふと外気に触れると、その炎はいとも簡単に消えてしまう。

 

「神様は乗り越えられる試練しか与えない」と紙に書き、パソコンに貼り付け

いつも自分を奮い立たせながら、学びに貪欲に書き続けた米国での学生時代。

 

自分の幼稚さ故の魂の乾きを「勘違い」と信じ込み、「生きている事なんて死ぬまでの暇つぶし」とロボットのように固まりながら必死に「就職」という現実を求めた就活期。

 

結局、唯一肩の力を抜いて 好きな事や考えをじっくり話し、理解してくれた広告会社に就職を決め、私の就職活動は終わった。

もっと上手く出来てれば、あそこも受かったかも…とか、

あそこに入った方が自分は毎日楽しく出勤できるかも…だとか、

考えだすときりがないほど、見た事の無い世界というのは輝いて見えるもので辛いのですが、

 

過去の自分には負けられない。

あの頃は良かった、なんて絶対に言いたくない。

 

無知を自信に変え、前へと進む。

その先にある本当の幸せへの旅は、今始まったばかり!

 

就職先として決めた会社では、これまでの自分がやって来た事をもっと成長させれる機会も多く、レベルアップには最適だと信じてる!

(信じてる!)

 

あとこれまでは記事とか歴史論文とか編集系のものしか書いた事が無かったけど、

帰国後には自分で一から作り上げる脚本を書いてプロに見てもらう機会もあったり、小説も書き始めたりだとか、

自分の可能性ももっと広がっているような気がするので

なんだかどっちにしろ結果オーライ!なんでしょうね。(このハッピー野郎!)

 

この旅でまた輝きだした魂の火を胸に、

今が一番楽しい!血が、骨が、今一番輝いている!

と思える今を作る事。

それが私の幸せだろうと思うのです。

 

神様は乗り越えられる試練しか与えない!