マオリ流の子育て
ニュージーランドの首都ウェリントンから、車で北へ1時間ほど走ったところにあるのが、海辺の小さな町オタキ。
私が高校1年生の頃通っていたオタキカレッジで出会った親友ジュリータは、オタキで生まれ育ち、今はこの自然豊かな町で2人の子供を育てています。
広い牧場や森の周りに川が流れ、川は海へと繋がる。
それぞれの場所にそれぞれの居場所を求めた生き物達が暮らしていて、人間もその一部としてごく自然に存在している。
そこには「人間は自然の一部に過ぎず、それを支配するものではない」という先住民マオリの哲学が、根底にあるのです。
オタキはマオリにとって歴史的に重要な場所とされており、集会所やマオリ学校があったりと、マオリ文化が根強く残っている場所。
マオリの血が入っているジュリータも、マオリを自分のアイデンティティーと捉えており、子供達にも「地球と共に生きる」マオリ哲学を継承しています。
そして自然豊かなオタキは、自然への敬意や共存について教えるのに、とても良い環境が整っています。
天へと高く伸びる木々を見て、自然の圧倒的なパワーを感じ、道なりに生えるキノコや花を見つけては、生命の息吹を享受する。
海の冷たさや広さを体感し、どこかからたどり着いた木やモノを触っては、この海はどこと繋がっているのだろう、と好奇心を抱く。
犬と共に森で遊び、海で走り、
近所のロバと友達になって、エサをあげる。
「自然や生き物と共存する」という考えは人間同士の関係にも浸透していて、ニュージーランドには、マオリやヨーロッパ系の人たちだけでなく、アジア各国や、南太平洋諸島からの移民もたくさん住んでいます。
元クラスメイトで、フィジー島出身のアリシマもそのひとり。
結婚してオーストラリアに引っ越した彼女に連絡してみると、今回たまたまオタキに帰郷しているとのことで、彼女とも10年ぶりに再会できました。
私がジュリータやアリシマに出会ったオタキカレッジへも、10年ぶりに訪問。
懐かしい校舎や校庭を歩いていると、あの時の空気や匂い、緊張や暖かさが、パズルがサッと合わさる様に思い出され、過去にタイムスリップした様な、不思議な感覚に陥りました。
初めて経験する「マイノリティー」に心が折れそうになりながらも、 新しい環境でどうにか居場所を見つけようと、悩み、喜び、泣き、笑いながらめまぐるしい日々を過ごした10年前。
孤独を感じ、壁を作っていた私を「仲間」と呼び、ひとりの人間として認めてくれた友人たちのお陰で、10年後「第二の故郷」としてオタキを訪れることができたことが、本当に嬉しかったです。
ジュリータの息子ボストン君が、記念に撮ってくれました。
最近ジュリータは子育ての合間を縫って、薬草などを使った伝統的なマオリ医療を学んでるらしいです。
そんな彼女が幼い頃父に教えられ、ずっと続けていることが、「毎日30分は裸足で地球を感じる」こと。
靴を履かずにスーパーへ行ったりするニュージーランド人ですが(一部です)
彼女は、「当たり前だけど、大切なこと」を忘れないために、必ずコンクリートじゃない「地球」の砂や土を子供達にも踏ませる事を心がけているそう。
自然のなかの「人間」の位置を自覚し、「地球人」として地球に、人に、自分に、愛を与えられる人を育てるマオリ式の子育て。
お金や権力で人の価値を決めてしまいがちな私たちですが、愛を持って周りのものと「共存」できる人こそ、本当に価値のある人なのかも知れません。