長崎にて〜キリシタンの街〜

祖父母が熱心なキリスト教徒で、

産まれてすぐ洗礼を受け、

物心つく頃には実体も分からないキリストに祈りを捧げることが当たり前になっていた。

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しかし満ち足りた慌ただしい日々を送るうちに祈りもさぼりがちになり、

神を意識する事も気付かぬ間に少なくなった。

 

大学生になり孤独と一人で戦うアメリカでの学生生活で

私の心の支えは、自分自身の希望、すなわち目には見えない神の存在になっていた。

ってことも、当時の私は気付いていなかったんだけど。

 

毎日苦しくても「神は乗り越えられる試練しか与えない」と

唱えると、体の中からぐんぐんと生きる活力が涌き出してくる

不思議な呪文程度に思っていましたが、それにずいぶん助けられました。

 

理解できない部分が多く、今の時代神を信仰する事自体が甘えじゃないかと考えた時期もあったけど、

帰国して祖母と話す機会も増え、一人でまた教会にも通いだすようになり、

ちょうど遠藤周作の『沈黙』を読んだこともあって、

キリシタンについての興味が爆発していた私。

 

では、本日は長崎キリシタン巡りをしよう!というわけで、

朝起きて訪れたのは『日本二十六聖人記念館』

 

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1597年に6人の外国人宣教師と20人の日本人キリスト教徒、二十六聖人が殉教した「西坂の丘」に建つ『日本二十六聖人記念館』。

 

1549年にフランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝え、長崎を中心にキリスト教が日本に広まった。

毎日死に物狂いで働いても農作物の多くは役人に取られ、不当な制裁を下され続け、希望など無かった庶民達。

そんな中「神の前では皆平等」と唱うキリスト教の教えは、多くの人々の心に生きる希望を与えた。

 

しかし、封建制度を完成させ、揺るぎない中央集権国家を成立するために

1587年に豊臣秀吉がキリシタン禁令を出す。

当時の幕府が恐れたのは、海外からの侵略よりも、島原の乱のようなキリスト教徒の団結による封建制度秩序の崩壊であった…

 

1597年にはそれを受けて二十六聖人が殉教(自らの信仰のために命を捨てること)をさせられる。

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1614年には徳川家康によるキリシタン弾圧がより激しくなり、

多くのキリスト教徒たちは殉教させられた。

 

頭上には常に雨雲が覆い被さり、上を見上げ光に手を伸ばす事すらも禁じられる中で、

幕府のために働き続けた庶民たちがやっと手にした「信仰」という希望。

幕府はそれを彼らから無理矢理に奪った。

 

(そんな「迷える子羊たち」を救い、また日本へ渡った後に棄教したという師の真実を確かめるために、ポルトガルの宣教ロドリゴは日本へ上陸する… というのが遠藤周作の『沈黙』のあらすじです)

 

日本二十六聖人記念館』には、 

当時の隠れキリシタンの祈りから明治時代の信仰の復活までの歴史がたくさんの資料と共に展示されていて、

ボロボロになったマリア様の絵や、信仰を綴った手紙を実際に拝見すると、

彼らの生きる希望にすがりつく生きる強さ、

そしてよい社会のために自らを捧げた彼らの想いが少し理解できるようになった気がしました。

 

一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のまま残る。しかし死ねば、豊かに実を結ぶ (ヨハネ12・24)

 

多くの長崎のキリスト教徒たちは殉教し、死んだ。

しかし長崎の教会は死ぬ事はなかった。

そのお陰で教会は成長し、希望のしるしとして今もなお存在し続けている。

 

死を選び、愛を選んだキリスト教徒たち。

彼らは、強者である。

 

一方、踏み絵を踏み、死を逃れた弱者たちもいた。

が、その弱者達が語り継がれる事はなかった。

 

弱い自分を救う方法はないのか…という深い哀しみにも

神は沈黙を貫く。

こんなに苦しんでいるのに、どうして神は手を差し伸べてくれないんだ…!

 

という点に着目し、

その「弱者」達の人間らしさと新たな信仰の概念が『沈黙』では書かれている。

 

 

殉教した人たちを卑下するような結末に批難を受けたりもしたみたいですが、

信仰について、キリストの存在について、真っ向から向かって行った作家遠藤周作の『沈黙』は世界20カ国以上で翻訳され、世界中で読み継がれている。

 

今年『沈黙』刊行から50年。そして来年にはハリウッド映画化。 

返答のない神の「沈黙」を追求した彼の作家としての使命や動機にも興味があったし、

神への信仰が軽んじられ、蝕まれつつある現代で「信仰」がテーマの『沈黙』をどう映画化するのか、気になる…!

 

ということで、

長崎駅からバスにゆられ、一時間半ほどかけて辿り着いたのが

キリシタンの里としても知られる『沈黙』の舞台、長崎市外海地区にある

遠藤周作文学館。

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五島灘に囲まれた文学館から見える景色。地平線すらも空と混じり合う。

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資料館のなかは撮影禁止で、写真はないのですが…

遠藤周作の生前の遺品、生原稿、取材メモに加えて

多くの作品の解説が展示されており、

彼の作品や、日本人にとっての「キリスト教」、

自分にとっての「キリストの存在」を考える良い機会になった。

 

二十六聖人のような、神への信仰、そして仲間達の愛のために身を捧げ、死を選んだキリスト教的概念で言う所の「強者」と

死を恐れ、踏み絵を踏んでしまい、信仰心に嘘をついて自分を守ってしまう「弱者」。

 

遠藤周作は自身を「弱者」だと考え、自分は踏み絵を踏んでしまう人間だと言う。

 

だからこそ、彼はキリスト教的な道徳では「弱者」とされるそのような人間の意識を追求し、沈黙の灰の中に埋もれた「弱者たち」を再び生き返らせ、歩かせ、声を聞こうとした。「弱者たち」も「強者たち」も同じ人間だ。と。

 

 ぼんやりとした神の存在について追求し、「サイズの合わない服を着ている」と日本におけるキリスト教を表現しながらも、

生涯をかけてキリスト教を追求し、多くの人々の心の支えになる作品を書いた遠藤周作

彼は作品を通じて弱者を肯定することで、前向きな信仰の概念を伝えた。

 

また、彼の別名 「狐狸庵先生」のユーモア溢れる作品や展示物もじっくり拝見できて、芸術を楽しみ、笑いを大切にする事で人を巻き込む、芸術家としての姿勢も素敵!と思える、面白い文学館でした。

 
神は、人を介して働きかける。
人の背中を押す事で、神の力が実際に行われ、愛は人々に伝わる。

 

遠藤周作の想いの真髄に触れ、彼の愛や希望を体感し外に出て文学館の写真を撮ると

文学館の真上に、大きな十字架の雲が出ていました。

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この偶然は、遠藤周作の私に向けたメッセージとしか捉えられないほどに

何か見えない手で背中を押されたような気になり、

心が燃えるのを感じました。

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夜は海鮮丼を食べに。

妹はいろいろな海鮮が乗ったどんぶりを。

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わたしはまさかの九州に来て、北海丼を。

1年分のウニを食しました。

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それから夜のグラバー園を散策。

大浦天主堂はクリスマス前で、イルミネーションもとても綺麗。

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冬の空気を街が暖める、

グラバー園からの夜景。

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 ドラマ『Jin』(医者が江戸時代にタイムスリップするあの名作)の大ファンである我々は、「おおぉぉ!ここが野風(花魁)が嫁いだ先のところかな!」と大興奮。

そして

龍馬「野風ぇえ〜まだ雪になりたいがか〜!!」

野風「まっぴらごめんでありんす!」

と名シーンを全力で真似して盛り上がり、疲れて就寝。

 

長崎大好き。